島原大門。 島原開設当初の大門は嘉永7(1854)年の失火で焼失している。
現在の大門は慶応3(1867)年に再建されたもので、昭和61(1986)年に京都市登録有形文化財として登録された。
島原住吉神社。 元は住吉屋太兵衛という人物の自宅で祀られていた住吉大明神だったが、御利益があるとして祭神を島原の西北に遷座し建立された。 明治維新後に一時廃社となってしまったが、後に現在の社名に改称して旧に復することとなった。
現在の島原住吉神社の付近にはかつての島原西門があり、現在はその跡地に石碑が建立されている。 | |  |
大門脇。 幕末の女流歌人蓮月尼(1791〜1875)が、島原大門の柳を
『嶋原のでぐちのやなぎをみて なつかしき やなぎのまゆの春風に なびくほかげや さとの夕ぐれ』
と和歌に遺している。
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遊宴の町・島原
島原は本来の地域名を西新屋敷といいます。 江戸時代以来公許の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として発展してきましたが、寛永18(1641)年、幕府の命によって島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀野の地に移されました。 その移転の騒動が、九州で起きた島原の乱を思わせたところから一般に島原と呼ばれ、現在にいたっています。
島原は、単に遊宴の場であるというだけではなく、和歌や俳諧などの文芸も盛んで、江戸中期には島原俳壇が形成された程でした。島原と関わりの深い有名な俳人としては、炭太祇や与謝蕪村らがいます。
島原といえば幕末、勤皇の志士である西郷隆盛・桂小五郎・久坂玄端・坂本龍馬・山縣有朋・伊藤博文や、近藤勇・芹沢鴨といった新撰組の面々が通った事でも有名です。
現在は民家が並ぶ住宅地ですが、島原の大門や島原開設当初から残っている揚屋の角屋、置屋の輪違屋といった建物などに、かつての花街としての面影を見る事ができます。
角屋外観。 現在では揚屋(あげや)であった角屋(すみや)と置屋(おきや)である輪違屋(わちがいや)のみが往時の名残りを留めている。 幕末の頃までは島原もこのような揚屋や置屋が軒を連ねていたのだろう。 角屋は現在一般に公開され内部の見学が可能だが、輪違屋は現在も営業中の為、非公開となっている。
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