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壬生寺 |
![]() 地元、観光問わず参拝者が絶えない境内。幕末、この境内で新撰組の隊士が兵法の訓練をしたり、沖田総司が子供達と遊んだと言われている。 ![]() 阿弥陀堂。平成14(2002)年に再建され、壬生塚への入口ともなっている。 ![]() 近藤勇の像と並んである、芹沢鴨、平山五郎、河合耆三郎ら新撰組隊士の墓。他にも、万葉集でよく知られる柿本人麻呂の灰塚である人丸塚がある。
| 新撰組ゆかりの寺 壬生寺は平安時代に創建された律宗のお寺で、地蔵菩薩立像(重要文化財)を本尊としています。 仏の教えを無言劇に仕組んだ、台詞の一切無い狂言『壬生狂言』で栄えましたが、幕末に活躍した新撰組と縁の深いお寺としてもよく知られています。 壬生寺と新撰組との関わりは深く、彼等は壬生寺近隣の八木邸や前川邸などを屯所とし(それ以降、屯所は隊士が増えた為に西本願寺へと移転しています)、壬生寺の境内で兵法の訓練を行いました。 兵法の訓練が行われたのは毎月4と9のつく日ですが、その日には寺の門を全て閉じて参拝者を入れず、禁じられていた境内への馬での乗り入れを行い、大砲を打ち続けるなどといった事をしたそうです。慶応元(1865)年、西本願寺に屯所が移転した以降も、壬生寺境内での訓練は続けられました。 訓練での振動や騒音、参拝者が減るといった被害が深刻であった為、困り果てた壬生寺の役僧が新撰組に再三申し立てをしましたが聞き入れられなかった、といった話も残っています。 壬生浪(みぶろ=壬生の浪人)と呼ばれて恐れられ、京の人々にはあまり受け入れられていなかった新撰組ですが、粗暴なイメージばかりでなく、副長の土方歳三は俳句を趣味とする様な風流な面もありましたし、新撰組一番隊隊長であった沖田総司などは子供好きで、壬生寺の境内で子供達を集めてはよく一緒になって遊んでいたといいますから、ただ敬遠されてばかりでもなかったのかもしれません。 現代では、小説やテレビなどで新撰組が有名となり、壬生寺は新撰組ゆかりの寺としてよく知られ、境内は幕末に活躍した新撰組の歴史に触れようと参拝に来られた人々で賑わっています。 境内にある壬生塚には近藤勇の胸像がありますが、胸像の脇にはたくさんの絵馬が奉納されており、新撰組や近藤勇を慕う多くのファンの熱い思いが伝わってきます。
新撰組局長近藤勇の胸像。像の脇にはたくさんの絵馬が奉納されており、新撰組人気が伺える。 壬生狂言年間定例公開(春・秋・節分の年三回)
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