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| 二条城 |
国宝の二条城二の丸。この大広間一の間で大政奉還がなされ、長きにわたり続いた徳川幕府が幕を閉じた。
二の丸御殿から庭園へと向う途中に置かれている、二条城と所司代との連絡用として使われていた鐘。
| 大政奉還がなされた城 二条城は、慶長7(1602)年、徳川初代将軍家康が諸大名に命じて京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として築城させたものです。 現在の二の丸部分を完成させた後、三代将軍家光により伏見城の遺構を移して拡張・整備され、寛永3(1626)年、本丸・天守などを完成させて現在の規模となりました。 豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構・家康が建てた慶長年間の建築・家光が作らせた絵画や彫刻などが総合されて、桃山時代様式の全貌を見ることができます。 寛廷3(1750)年、雷火のために天守閣が焼失、天明8(1788)年には市中の大火にあい、本丸殿舎や櫓の多くが焼失してしまいました。 現在本丸御殿と呼んでいるものは、明治26(1897)年、当時京都御所にあった旧桂宮御殿が移築されたものです。 文久3(1863)年、14代将軍家茂は家光以来229年ぶりで二条城へ入城しますが、この頃以降、幕末の幕府は実質的に二条城へ移されたようになっていきました。 慶応2年、家茂の跡を一橋慶喜が継いで15代将軍徳川慶喜となりますが、その翌年、慶喜は城中にて大政奉還を決意・発表したといいます。 明治時代になってからは、二の丸御殿に府庁が置かれ、一時は陸軍省にもなりました。 明治17年に宮内庁に属して二条離宮と改称し、その後明治26〜27年にかけて京都御所にあった桂宮御殿が、本丸御殿として移築されることとなります。 昭和14年、京都市に下賜され、離宮は京都市の所有となりました。現在は史跡・元離宮二条城として一般に公開されています。
本丸御殿。
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