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晴明神社 |
![]() 安倍晴明の邸宅跡である晴明神社。この場所は平安時代、天皇が住まう御所からは鬼門の方角(現在、御所の位置は当時よりも場所がずれている)に位置していた。この事から、晴明は鬼門封じとして自らの身を置き、京の護りの一つとしていた事が伺える。 ![]() 晴明神社本殿。参拝者は二十代前後の男女や学生が多く、現代でも衰えない安倍晴明の人気がよくわかる。
![]() | 稀代の陰陽師、安倍晴明の邸宅跡 晴明神社は、平安時代に活躍したとされ様々な物語に登場する陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明(あべのせいめい)が住んでいた邸宅の跡地に建てられた神社で、晴明はこの神社に御霊神として祀られています。 陰陽師とは、陰陽道(おんみょうどう)を学び身に付けた人の事です。陰陽道は、万物が陰の性質と陽の性質を持つという『陰陽(いんよう)説』と、物事の生成や変化が木・火・土・金・水の5つの要素から成るという『五行(ごぎょう)説』の二つの思想が合わさった、『陰陽五行説』という思想がもとになっています。 陰陽師はこの思想に基づいて、天文や易、遁甲(とんこう=占星術の一種)、相地(そうち=風水の様に地相で方位の吉凶を見る方法)、暦法(天体の動きから暦を作る方法)などといった学問や占いを行い、時には式神(しきがみ)と呼ばれる鬼神(きじん)を使役したり、呪(まじな)いをかけて疫神(えきがみ=疫病などをもたらす災いの神)や魔物・呪詛(じゅそ=のろい)から人々を護る事も行っていました。陰陽師は『陰陽寮』という国家の組織に属し、天皇や国に仕えていたので、当時の人はその力を尊敬と畏怖の思いで見ていたと思われます。 そんな陰陽師の中でも、最強で優れた力の持ち主だと言われていた人物が安倍晴明です。 晴明については陰陽師として活躍した様々な話が残されていますが、中にはそういった占いや呪術的な話だけではなく、晴明の妻があまりに式神を怖がるので、普段使役しない式神たちを邸宅近くの橋(一条戻り橋)の下に封じておいたといった様な、どこか人間的で微笑ましい話も残されています。 文献には名前が出るものの、正史に登場しない、言わば隠れたヒーローであった晴明ですが、近年小説や映画、コミックなどで取り上げられ広く世間に知られるようになってきたためか、神社には参拝者が絶える事なく訪れています。
(左)晴明井。病気平癒の水として御利益があると言われている。水位が下がっていた為にこれまで利用する事ができなかったが、今年(平成16年)の春、再び利用できる様になった。この晴明井は新たに作り直されたもの。立春になると神職が上部を回転させて、取水口がその年の恵方を向く様にしている。
あの世とこの世を結ぶ橋と言われている一条戻り橋。 |
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