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難波宮史跡公園

難波宮史跡公園北入口から、復元された大極殿跡を望む

難波宮史跡公園北側入口北東側から、復元された大極殿跡を望む。




難波宮史跡公園内南東側から、復元された大極殿跡を望む

難波宮史跡公園内南東側から、復元された大極殿跡を望む。背後に大阪歴史博物館の建物が見える。




難波宮史跡公園内南側から、復元された大極殿跡を望む

難波宮史跡公園内南側から、復元された大極殿跡を望む。右手遠方に大阪城天守閣が見える。




復元された大極殿跡上にある復元礎石跡

復元された大極殿跡上にある復元礎石跡。

 
大化の改新の舞台の1つ。
「難波長柄豊崎宮」の跡


飛鳥板葺宮での蘇我入鹿暗殺(乙支の変)に始まる大化の改新。その際、孝徳天皇が遷都したのが難波宮(難波長柄豊崎宮)です。難波の宮はそれ以来、8世紀末までの約180年間、首都としてまた副都として日本の古代史に大きな役割をはたしました。

昭和29年(1954年)以降、長年にわたる発掘調査の結果、前期・後期二時期の難波宮跡が、中央区法円坂一帯の地に残っていることが明らかになりました。

現在、内裏・朝堂院部分90,677平方メートルが、国の史跡に指定され、発掘調査により、難波宮は大きく分けて前・後2回の宮殿遺跡とそれ以前の建物群があることが解っています。

前期難波宮は、すべての建物が掘立柱で、屋根に瓦を葺かない建物でした。7世紀の中頃、飛鳥で蘇我氏が滅ぼされて後、遷都した「難波長柄豊崎宮」がこれにあたると考えられ、天武天皇朱鳥元年(688年)に火災で全焼するまで続いたと考えられています。この宮殿は最初の本格的な中国風の都と考えられていれる大和の藤原宮に先行するもので、古代国家の成立期の貴重な遺構です。

後期難波宮跡は、奈良時代の神亀3年(726年)聖武天皇の時に造営された宮殿です。大極殿や朝堂院の中心建物には礎石が用いられ、屋根には蓮華文・唐草文・重圏文軒瓦などの瓦が葺かれていました。天平16年(744年)にはここ難波宮が首都と定められましたが、翌年再び平城宮へと移されました。

前後2時期の難波宮の遺跡のほか、それ以前の大規模な建物跡もほぼ全域で発見されています。港をひかえた難波の地は、5世紀以降外交・文化・経済・政治の要衝として栄えていたことがしのばれます。
なお、近くの大阪歴史博物館には、発掘された難波宮の遺構が保存・公開されています。


住所:大阪市中央区法円坂1
開園時間:入園自由、休み:無休、料金:無料

遺跡に関する問い合わせ先:
(財)大阪市文化財協会難波宮調査事務所
(TEL:06ー6943-6836)

交通:JR環状線森ノ宮駅から徒歩15分。市営地下鉄谷町四丁目駅から徒歩5分。



 
難波宮史跡案内図
 
  難波宮史跡案内図。赤色部分が前期難波宮史跡、青色部分が後期難波宮史跡。

 
 
難波宮史跡公園地図
 





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