池の西側にある観音島に建つ壹美白弁財天社の祠。 弁天様様の祠の背後(東側)に広沢池が広がる。
南堤の桜越しに遍照寺山を望む。 広沢池の南堤を通る道沿いには、有名な桜並木が続いている。 (撮影:2007年4月3日)
広沢池の南岸方面より観音島を望む。 観音島は、石垣に囲まれた大小二つの島からなっていて、写真左側の橋から渡ることができる。写真左側の大きいほうの島には観音様の像、右側の小島には壹美白弁財天社の祠が建っている。 この島の背後、池の西北岸で往古の遍照寺の御堂跡とみられる遺構が発見された。
観音島にある観音様の像。 南に向いて立っているその姿は、池を守っているように見える。
北嵯峨の風景。田園風景と山並みが続く。 右手から中央奥へと続く道は、広沢池の西側を通る道で、後宇多天皇陵、直指庵、嵯峨天皇陵方面へと続く道である。
| |
古来より愛でられた 北嵯峨の月の名所
京都嵯峨野は散策先として有名な場所ですが、静かな昔ながらの風景を楽しむなら、北嵯峨をゆっくりと歩いてみるのはいかがでしょう。その北嵯峨の名所のひとつとして古来より有名なのが、ここ広沢池(ひろさわのいけ)です。
広沢池は、大分県の「初沢の池」・奈良県の「猿沢の池」とともに日本三沢の一つといわれ、灌漑用の溜池として往古より知られている池です。
この池の由来には様々な説があります。一般的には、平安時代の中期(永祚元年、989年)に宇多天皇の孫・寛朝(かんちょう)僧正が今の池の北西あたりに遍照寺を建立した際に造られた池と伝えられ、「遍照寺池」とも呼ばれています。
また、嵯峨野を含めた洛西の地は、8世紀頃に秦(はた)氏によって開拓・開発された地であるため、その秦氏がこの付近一帯の用水池として原始的な溜池を造ったのが始まりとの説もあります。
往古の遍照寺が健在であった際は、池のほとりに釣殿・月見堂などが設けられていたそうです。遍照寺は、大覚寺と隣接して壮大な伽藍を構えていましたが、応仁の乱によって衰退し、江戸時代の寛永年間に現在の嵯峨広沢西裏町(広沢池から南約300メートル)に再建されています。寺には、重要文化財の本尊十一面観音立像・不動明王坐像が創建当時のものとして安置されています。
池の南東側には、遍照寺を建立した寛朝僧正の侍児を祭神とする児神社(ちごじんじゃ)が建っています。創建年は不詳ですが、寛朝僧正が入滅した際に、残された児が悲嘆・悲涙して後を追うように広沢池に身を沈めたのだとか。近在の人々がこの児を哀れと思い、その霊を慰めるためにこの社を創建したと伝えられています。
往古の遍照寺に月見堂があったことでもわかりますが、平安時代には観月の絶好地として王朝の歌人が盛んにこの地を訪れ、歌を詠みました。
いにしへの人は汀に影たえて
月のみ澄める広沢の池
―源三位頼政
あれにける宿とて月はかわらねど
昔の影はなほぞこひしき
―薩摩守平忠度
また江戸時代には、次の有名な俳句もここで詠んだと伝えられています。
名月や池をめぐりて夜もすがら
―芭蕉
池の南堤の桜並木は、北嵯峨の名所として西方の大覚寺にある大沢池と並び有名です。
周囲約1.3kmのこの池を含め、付近を散策すれば、古来からの嵯峨野の風情を実感できることでしょう。昔ながらの風景が残っているためか、時代劇のロケ地としてもこの池周辺はよく使われているそうです。
<所在地>
京都市右京区嵯峨広沢町
<問い合わせ先>
京都市観光協会/TEL:075-752-0227
<交通>
市営バス山越バス停から徒歩7分
市営バス大覚寺バス停から徒歩10分〜15分
| |
 |
|
| |
広沢池の背後にある遍照寺山。 広沢池は、別名『遍照寺池』とも呼ばれ、この山が池に影を落とす景色が美しい。
|
|
|
| |
 |
|
|