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| 上賀茂神社 [正式名称] 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ) |
「二の鳥居」近くの南西側より「細殿」と「立砂」を望んだ様子。「細殿」の右には「橋殿」、さらに右は「土舎」がある。
上賀茂神社の象徴として有名な重要文化財の「楼門」。
御祭神『賀茂別雷大神』が御降臨された山「神山(こうやま)」を、参拝者駐車場付近より望んだ様子。
境内を流れる「ならの小川」。境内社の「山森社」あたりから北側を望んだ様子。
「ならの小川」について詠んだ、藤原家隆卿の歌碑。 | 京都最古の神社 往古の祭りが続く世界文化遺産 上賀茂神社は、上古にこの付近一帯に繁栄していた賀茂氏が創祀した京都最古の神社といわれています。 賀茂氏の伝説によると、一族の租神『賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)』の娘『賀茂玉依姫(かもたまよりひめ)』が、川上から流れてきた矢に感じて懐妊し男児を産みます。のち男児は天に昇り、『賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)』(大自然を支配する神)とたたえられました。 この神が御降臨した山が本殿の北北西にある「神山(こうやま)」であり、祀る社を「賀茂別雷神社」と呼ぶようになります。この名が上賀茂神社の正式名称です。 天武天皇の御代(678年)に現在の社殿の基が造営され、平安遷都とともに信仰が高まりました。以来、皇城鎮護の神・鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、現代も厄除・方除・電気の守り神として広く信仰されています。 弘仁元年(810年)に、嵯峨天皇の勅願により第8皇女有智子(うちこ)内親王が賀茂の斎王(さいおう)と定められました(上賀茂・下鴨の賀茂両社の斎王)。斎王が祭事に奉仕する制度は、他には天武天皇の時代に定められた伊勢神宮にしかなく、如何に崇敬の念が厚かったかが偲ばれます。 有名な「葵祭(あおいまつり)」(5月15日)の正式名称は『賀茂祭』といい、京都御所、下鴨神社、そしてここ上賀茂神社が神事の中心です。「葵祭」と呼ばれるのは、祭儀にかかわる全ての人たち、また社殿の御簾から牛車にいたるまで二葉葵を桂の小枝に挿し飾るためです。 欽明天皇の御代(6世紀)の賀茂大神の祟りを鎮めるための盛大な祭祀が、『賀茂祭』の起源と伝えられています。 平安時代は殊に盛んだったようで「祭」といえば葵祭をさすほどだったとか。廃絶や中断された時期もありましたが、現在は華やかな行列、古儀のままの神事が復活しています。 平安時代の風習を雅に再現した献歌行事『賀茂曲水の宴』(4月第2日曜)もここ特有のものでしょう。当日は、境内の庭園「渉渓園(しょうけいえん)」で当代一流の歌人によって和歌が詠まれます。 『競馬会神事(くらべうまえじんじ)』(5月5日)も独特です。舞楽装束を着けて騎乗した様子、馬場で競馳する様子は壮観なもの。『徒然草』等にも書かれている、寛治7年(1093年)に始まった神事です。 神武天皇東征物語に登場する「八咫烏」は、賀茂氏祖神『賀茂建角身命』が化身した姿だと伝えられています。『烏相撲』(9月9日)では、児童による相撲が行われますが、取り組みの前に烏鳴き等の烏の所作が行われるユニークな神事です。 さて、上賀茂神社にはたいていの神社にある拝殿(本殿の手前にある参拝する場所)がありません。神職のお話では、もともとお参りする神社というよりも、お祭りをする神社として人々の信仰を集めていたようです。確かに、ご紹介したお祭り・行事の他にも様々なお祭りが年中催されています。詳細は「上賀茂神社」公式ホームページをご覧下さい。
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