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| 大覚寺(だいかくじ) [正式名称] 旧嵯峨御所 大覚寺 門跡(きゅうさがごしょ だいかくじ もんぜき) |
大覚寺「大門」。
式台玄関(しきだいげんかん)にある障壁画『松に山鳥図』(作:狩野永徳)。
大覚寺「宸殿(しんでん)」。
「五大堂(本殿)」入口。
「霊明殿」から見た内庭の様子。 | 「嵯峨」地名の由来 南朝ゆかりの旧嵯峨御所 「大覚寺」と聞いて連想する事は、人それぞれに違うと思います。いけ花、般若心経、大沢池の観月、映画好きの方なら時代劇のロケ地として思い浮かべるでしょう。このように有名な大覚寺ですが、前身が離宮であったことはご存知でしょうか。 平安時代の初期、嵯峨天皇は后との新居として嵯峨院を建立されました。これが大覚寺の前身・嵯峨離宮です。「嵯峨」は、唐の文化にあこがれていた天皇が、唐の都・長安北方にある景勝地、嵯峨山になぞらえてつけた地名です。弘法大師(空海)も幾度となく立ち寄られたのだとか。 その後、嵯峨天皇の皇女正子内親王が嵯峨離宮を大覚寺に改め、嵯峨天皇の孫にあたる桓寂法親王が初代の住職に就かれました。正式名称に“門跡”とあるのは「門跡寺院」の意で、天皇または皇族が住職に就かれた寺院を指しています。 鎌倉時代後期の皇統が二分された時期、後宇多法皇の皇統はここ大覚寺に住まわれたため、「大覚寺統」と呼ばれました。この「大覚寺統」の皇統が南朝の天皇となられます。元中9年(明徳3年、1392年)に行われた南北朝の講和会議も、この大覚寺で催されました。 応仁の乱によりほとんどの堂を消失し衰退した大覚寺ですが、江戸時代初期には寺観を整え復興しています。 大正11年(1922年)には、大沢池畔の名古曽の滝跡が国指定名勝として、昭和13年(1938年)には、大覚寺境内全域が、大覚寺御所跡として国指定史跡に指定されました。 ご本尊は不動明王をはじめとする五大明王。「近畿三十六不動尊霊場」の第十三番札所でもあり、全国各地から参拝者が訪れます。 また、嵯峨離宮の頃、嵯峨天皇自ら般若心経の写経をされたことから、現在も般若心経の根本道場として信仰を集めます。本堂(五大堂)を参拝された折には写経をされる人々の姿を垣間見ることもあるでしょう。 そして、大覚寺は「いけばな嵯峨御流」の総司所でもありますが、それは嵯峨天皇が嵯峨離宮内の菊を生けられたことに始まるそうです。 さて、数々のお堂や文化財を拝観するだけでなく、大覚寺を訪れた際には境内の一部である大沢池畔の散策もお勧めです。国指定の名勝地であり、春の桜、仲秋の観月、晩秋の紅葉が有名です。大沢池畔の見所や有名な『宵弘法(万灯会)』『観月の夕べ』については、「大沢池」ご紹介ページをご覧下さい。
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