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| 神蔵寺(じんぞうじ) [正式名称] 朝日山 神蔵寺 |
神蔵寺山門。
庫裡前の境内から本堂方向を望む。
神蔵寺本堂(瑠璃殿)。本堂には、釈迦如来坐像が祀られている。
薬師堂(東方閣)内の様子―日光・月光菩薩と薬師如来坐像が安置される厨子。
早春の山門を境内から望む。 | 苦難の歴史をくぐり抜けた古寺 貴重な文化財と豊かな自然 「丹波」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか。「黒豆」「オッペケペー節」「丹波焼」それとも「保津川下り」? このページでご紹介する「神蔵寺」は、丹波亀岡の中でも古い歴史を持つ、山ふところに抱かれたお寺です。 寺伝によると、延暦九年(790年)に伝教大師最澄が延暦寺根本中堂を建立された時、比叡山より西方にを眺めますと、紫雲たなびき朝日に映える山を見つけられました。その山は、この神蔵寺の背後にそびえる朝日山であり、大師自らこの地に来られて寺を建立されました。 根本中堂の薬師如来と同木で薬師如来像を刻み天台宗の一大道場として開創され、正暦年間(990〜995年)には26を数える堂塔伽藍を整えた大寺であったと伝わっています。その後十一世紀に入り源氏一門の崇拝が篤くなり、この寺も隆盛を極めました。 ところが、ここからこの寺の波乱万丈の歴史がつづられます。源氏一族の崇拝が篤かったため、治承四年(1180年)に源頼政が以仁王を奉じて平家討伐の兵を挙げた際、三井寺の僧兵と呼応して平家と対立しました。源頼政が敗れたため、平家により神蔵寺は寺領を没収されたそうです。 嘉禎元年(1235年)天台宗の達玄僧都がこの地に来て往時をしのび再興を発願され、今までの女人禁制を解いて再び丹波随一の名刹に復元しました。応永年間(1390〜1420年代)の頃には室町幕府の管領、細川頼元の補修を受けて、より隆盛をほこります。 しかし織田信長の命により、天正三年(1575年)に明智光秀がこの寺を一宇残さず焼失させました。ご本尊は、信者達により菰(こも)で巻かれ山中に隠されたので、なんとか難を逃れました。以来、この山中より流れる川は「菰川(こもがわ)」と呼ばれています。 承応二年(1653年)に、浄土宗の僧願西により本堂、阿弥陀堂、鐘楼等が再建されました。現在の本堂はその時のものと伝わっています。延宝7年(1679年)[延宝3年(1673年)の説もあり]亀山城主松平伊賀守源忠昭が臨済宗妙心寺派の高隠玄厚和尚に寺門を再興させ、以来臨済宗の法脈が継承されて現在に至っています。 この寺は、奈良薬師寺に始まり比叡山に結願する西国四十九薬師霊場の第四十三番札所でもあります。 ご本尊である「薬師如来坐像」をはじめとする数々の仏像・図絵は、苦難の歴史を中を信者の方達が守り通してきたものだけに、往古の文化を伝えるものとしてより貴重なものです。 本堂の背後にそびえる朝日山は、回峰修行の名残を残します。特に秋口から初冬にかけての光景はすばらしく、山の頂から丹波盆地にかかる霧を見下ろし、真東には比叡山を望みます。瑠璃光の世界を思わせるものとして往古から伝えられてきた絶景です。 朝日山周辺は、動植物の宝庫であり、地元信徒の方達による環境整備組合により維持・管理され、ふれあいの谷川、遊歩道、梅林園と整備が進んでいます。神蔵寺を訪れた際には、堂内・境内だけでなくゆっくりと時間をとって自然とのふれあいも楽しんでみましょう。
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